は じ め に

 我々の創作活動は「一族」、「fm」、「氾濫」抜きでは語れない。

 一族の起源は当時フェアリーランド担当であった小林看空氏が詰将棋パラダイス誌上で紹介している。神無姓は私の創作だが、神無一族は看空(三郎)氏の創作。

 互いに触発しあえる快適な創作集団は冗談から始まったことになるのだが、ものごとの始まりとは案外そんなものだろう。

 一族発祥の当初からその中心にはフェアリー詰将棋創作支援プログラムfmがあった。現fmファミリーは当時のプロトタイプとは比較にならないほど進化している。最新のハードウェア・ソフトウェア環境や多様なルールへの対応、チェスプロブレムへの応用、逆算プログラムの実験開始などなど。

 しかしまだ機械だけでの創作には限界がある。機械の進化は無論、それを上回る使い手側のアイデアが機械を使った“創作”への重要な鍵となるのだ。

 詰将棋パラダイス誌の450号を記念した神無一族の氾濫が思いがけずも定期化され、一族の創作の成果発表の場として定着した。

 1994年6月の第2回神無一族の氾濫で、神無七郎氏がその位置付けを明示している。実はそれに先立つ“幻の氾濫”があり、事情があって詰将棋パラダイス誌には掲載されなかったのだが、右記の抜粋から判るように挑戦的なその文面は我々の考えをより明確に表したものである。我々の創作の原動力は氾濫にあると言ってもよい。

 さて、本集は神無一族の自選フェアリー詰将棋集である。

 2000年という世紀末の区切りに際し、これまでの創作活動の成果をまとめるべく、一族の各自が自信作について自らが語りたいことを語りたいだけ語るというコンセプトのもと集成した。収録作品数の目安だけは設けたものの他は特に取り決めなし。神無前時代の発表作あり、ルールもばらばらならば原稿のスタイルもばらばら、一巻の書物としての最低限の体裁を整えるだけで大変な思いをした。なお、一族の作品集とは言え作稿しない自由もあるわけで、残念ながらと言うべきか当然ながらと言うべきか一族全員の作品集とはなっていない。混沌という統一性。いかにも我々一族らしい作品集に仕上がったと思う。

 今世紀での創作活動の総括は、旧来の創作法への一応の決着でもある。我々は来世紀も詰将棋創作における人間と機械のより高度な相互作用の実現を目指しながら、新たなフェアリー詰将棋の創作に挑戦し続けていくだろう。

2000年5月 神無太郎


【1987年6月 詰将棋パラダイス/フェアリーランド/小林看空】

蛍火の極限の火は緑なる/山口誓子

 事件!

 去る3月21〜22日、小林家は、春日井市の神無一族に襲われ、第三回フェアリー祭が成立してしまったのです!! 二人以上フェアリストが集まれば、至るところフェアリー祭なのです!

 席上話題になったことは、特に簡素図式(特に盤上持駒合せて7枚以内)の7手以内のばか詰で、コンピューターチェックの可能性でした。とりあえず、神無一族が拡大結成され、担当は神無三郎の名が与えられ、以下六郎まで埋まりました。

 別れてからしばらくして、神無太郎氏より手紙 ―

『神無次郎さんが作っているばか詰全検プログラム“fm”のプロトタイプ版を、今日の昼休みに動かしてみました。

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fm未完成なれど、仲々使いものになりそうだという報告まで』

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【1993年 幻の氾濫/神無七郎】

 「解答」から「検討」へ、そして「創作支援」へ。

 「神無一族の氾濫」は詰将棋におけるコンピュータの役割を理念上のものから、実践へ移行するための実験的プロジェクトである。作品を提供する我々だけでなく、解答を寄せる人、意見を述べる人、少しでも関心を示す人、全てがこのプロジェクトの参加者である。これが回を重ねる毎に次のことが明らかになるだろう。すなわち、コンピュータを使って詰将棋を作るということがどういうことなのか。また、その詰将棋を解いたり鑑賞したりすることが何の意味を持つのか。とどのつまり、詰将棋+コンピュータ+人間の関わりはどのようになるのか。

 普通の詰将棋にしか関心のない方も、このプロジェクトの推移は見ておいて頂きたい。これをフェアリーの世界の話として傍観できる状況は、そう長くは続かないだろうから。

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(全文は http://www.abz.jp/~k_7ro で参照可)